もくじ
ダイバーシティ推進委員会で恒例となってきました、
コンテンツ共有会の第七回の様子を今回もざっくりダイジェストでお届けします。
コンテンツ共有会って何? という方向け第一回の様子はこちら
イーガオのダイバーシティ推進委員って何をしてるの?
という方はぜひこちらご覧ください。
今回の題材は「浅田家!」という作品です。
あらすじはこんな感じ
様々なシチュエーションでコスプレして撮影するユニークな家族写真で注目を集めた写真家・浅田政志の実話をもとに、二宮和也と妻夫木聡の共演、「湯を沸かすほどの熱い愛」の中野量太監督のメガホンで描いた人間ドラマ。
映画.comより
4人家族の次男坊として育ち写真家になった主人公・政志を二宮、やんちゃな弟をあたたかく見守る兄・幸宏を妻夫木が演じ、
家族の“愛の絆”や“過去と今”をオリジナル要素を加えつつ描き出す。浅田家の次男・政志は、父の影響で幼い頃から写真に興味を持ち、
やがて写真専門学校に進学。卒業制作の被写体に家族を選び、浅田家の思い出のシーンを再現した写真で学校長賞を受賞する。
卒業後しばらくはくすぶっていたものの、再び写真と向き合うことを決意した政志が被写体に選んだのは、やはり家族だった。
様々なシチュエーションを設定しては家族でコスプレして撮影した写真で個展を開催し、写真集も出版され、権威ある賞も受賞する。
プロの写真家として歩み始めた政志は、全国の家族写真の撮影を引き受けるようになる。
しかし、2011年3月11日、東日本大震災が発生。
かつて撮影した東北に住む家族のことが心配になった政志は被災地に足を運ぶが、そこで家や家族を失った人々の姿を目の当たりにする
嵐のニノが主演の作品なので、予告やCMなどご覧になった事がある方もいるのではないでしょうか。
どんなトークをしたのか、雰囲気感じていただければ幸いです。
以下、映画のネタバレが多分に含まれておりますので、気になる方はぜひ映画見てからブログを読んでみてください。
まずは感想
これは個人的なあれなんですが、岩手にゆかりがあるので、震災を扱った部分の書き方が真剣で泣いちゃいました。
しんどい部分も勿論あるんですけど、それだけでなくそこで生きる人へのパワーと賛歌みたいなのを感じて。
被災の支援って物質的なものがまずあると思うんですけど、そこで精神面の支えとしての写真であったり思い出の力みたいなものをすごく感じて
シンプルにすごいいい映画だってことでグッと来ました。
震災の際はいろいろな人が集まって地域が凝縮される避難所で浮き彫りになってくる問題もあると聞くので、そういう部分も話せたらいいなと思います
シンプルにほっこりしたりいい映画だなと思いました
ダイバーシティ的な観点で考えてみると、映画の中で描かれていた家族、特に写真を撮られた人たちって小さい子供がいる家庭がほとんどだったのが印象的でした。
家族写真という題材からは離れてしまいますが、いろいろな家族のあり方、子どもを持たないとか、そういうあり方もあるよねというのを、考える出発点になることもできそうかなと。
それとジェンダー的な議論でよく男性は「まなざす」側だって話がよくありますけど、残された写真を見て、いつもお父さんがシャッターを切っていたから家族で撮った写真にお父さんの姿が残ってないみたいな視点がすごく新鮮でした。
あと、写真を撮るという行為の暴力性を描いた部分もあって、復興作業してる人を撮る報道カメラマンと、主人公のように家族写真を撮ったりボランティアで写真を再生してるとこの対比みたいな。
自分たちもブログや社内に向けての発信とかで、何を伝えるのかとか何をしていいのかとかそういう一つのメディアとしてのあり方を考えるのにも活かせるなと思いました。
内容知らなかったので、ほのぼのコメディ系の映画なのかなと思って見始めました。
そしたら、突然の震災で… 最終的には関わった家族がご無事なとこが見えて、ちょっとほっとしたりとかしました。
主人公の家族の話の所なんですけど、確かに写真家としてのメインは主人公なんですけど、兄の努力とか協力がすごいなぁと。
あまりそこに対してスポットが当たっていなかったので、もう少し家族から兄に向けても言葉があるとか、何かあったらよかったなぁと少し思いました。
撮られる方の家族によりそったり考える話だったので、撮ってる主人公の家族の方ももう少し観たかったです。
家族ってなんだろう
タニーさんもおっしゃってた家族の在り方を考えさせられるなと。
作中での主人公への彼女さんからのプロポーズのセリフで、あれはそこまでの家族写真とかの文脈があったからマイナスな印象はないんですけど、セリフだけ見るとすごくその嫁に入る家に入る家族の構成みたいな部分の言い回しで、そこが少しだけ引っかかったなと思いました。
本当に、前後の文脈的に作中では全然そういう意図ではないんですけど
事実婚って描き方でもありだったんじゃないかなとは思いました。
結婚っていう意思を表明することにもなにかあるのかなというところはありましたね
実質ほぼ結婚してるような状態でしたもんね
震災でみえてくるポイント
気になったのが、避難所が映った時に、かなり仕切りとか低くて。
あの狭い仕切りだけで空間区切られてたりって、何とかならないのかなあと・・・
今作は避難所ではそんなにマイナス面は書かれてなかったけど、
実際やっぱそのプライバシー的なものであったり、トイレとかお風呂とかの区分けの問題とかはあるっていいますよね。
作中でのれんで男女区切られた大浴場的なのありましたけど
他の国ではどういう支援の仕方をしてるんでしょうね
無知で恥ずかしいコメントですが・・・
公衆浴場で大人数で入るお風呂ってレジャーの側面が強いかなと思いますので個室のシャワーブースを設置してみたいになるのかなと思います
地域に住んでる外国人の方に避難を促すのが大変だって話を聞いた事があって。
言葉の問題もあるんですけど、宗教上の理由とかで公衆浴場に抵抗を持つ方もいるかもしれないし、例えば避難所で用意された支援物資で食べれない物があったり。
どこまで地域で対応すべきかという話もあると思うんですが、普段から接していて住んでいる人が分かっていれば覚えていて少しでも考慮する事もできると思うんですけど、ちゃんと相手の事を知らないとその発想もできないというか。
避難所って地域の縮図なので、そういう問題が表出するってききます
特にこの映画で描かれた東日本大震災とかだと、規模が大きすぎて備えがあっても上手く使えなかったりもあったりしそうですよね。
どこまで包括して対策しておくのかとか、備えはやろうと思えば際限なくなるので、その避難所で何がどこまで必要なのかとか、有事の前に考えておいたりしなきゃなんですけど、
その線引きが難しい問題だと思います
個人でも備えておいてもらうためにも、避難計画とか生活について周知して防災意識を持つ機会を持つのも大事ですよね。
そもそも災害に慣れてない場合もあるじゃないですか外国人の方。外国人の方に限らず、よその情報が入りづらい一人暮らしとか、高齢の方とか。防災情報を届くようにできたらいいんだろうな
今はコロナで、人集めての避難訓練も中々やれてないですしね
地域のコミュニティで情報いきわたらせるのって難しいですね……
写真と家族
うちってあんま家族写真とか撮らない家だったので、ああいう有事の際に写真として手元に残るものってないなと思って。
皆さん写真撮ります?
何かの記念で集まったりでたまに撮りますけど、それこそ作中でのお父さんが映ってないみたいな
普段の写真だと、私がわりとシャッター切る側だから、自分はいない写真が多い気がします
最近だと家族の結婚絡みとかやっぱり特別な記念の時だけですね。
手元に物理である写真って大事だなって感じる映画でしたよね。
家族写真だからってだけでなく、思い出が支えになるというか。
その時何してて誰がいてみたいな部分で。
結婚式の写真って聞いて少し思い出したんですけど、最近ソロウェディングの写真撮るのがちょっと流行ってて。
好きな恰好背景で、自分でとか友達ととか大事な物と一緒に写真を撮るみたいな。
典型的な家族写真でなくても、自分の大事な記録や思い出をとして写真のパワーとか表現の力ってアップデートされているんだなと
映画の主人公も、人柄とか的にそのうちそういうのもやってくれそうですよね。
典型的な家族写真からちょっとひねったというか、家族がフラットなシチュエーションの写真とかは撮っていたので。
メディアの在り方
タニーさんが最初にちらっとおっしゃってたんですけど、
メディアの姿勢的な部分と言うかうちらも発信したり社内に向けて研修考えたりとかって立場を考えて、この映画から何が学べてるかなと。
思ったのは、とことん相手にリスペクトを持つのがまず大事で
どこまで自分の身近な問題として捉えてアプローチできるかって大事だと思うんですよね。
ダイバーシティ考えてるからこれをやりますって形式でなく、自分ごとって意識を持って、少しずつそうとらえてくれる人を増やしていけるように動けたらいいなと思います
自分ごととしてとらえつつ、独りよがりではなく相手の意識に寄り添ってのが難しいです
考え続けることがきっと何かにつながるのかなと思って、思考停止にならないようにしたいです
この映画見て座談会ブログとかも、こういう映画からこういう事考えられるんだ、こういう事を考えてるイーガオの人はいるんだ、
って少しだけ自分ごとに近づくきっかけになるなといいですよね
自分が思うのは、ジェンダーの話とか他にも外国籍の方の話とかあとは育児出産の話とか介護とか、
ダイバーシティって広い分野につながっていると思って全てじゃなくていいので、どこかトピック一つぐらいは自分ごととして考える入り口になるのかなと思うんですよ。
間口を広くもつ事でどっかでつながって、自分ごととして考える事が出来ると思うんですよね
間口を広げるために、何がきっかけになってくるかって考えて、実践していきたいですよね
仕事について考えてるのだって入口の一つですよね。
他者との協調的なあり方を考えるとか、他人とのコミュニケーションについて考えるのってそれだってダイバーシティに関係することだと思うんですよ。
組織のなかで誰かと一緒に仕事するって事は、自分とは違う人との関係を考える事なので
誰もがどっかの観点でマイノリティというか、他者と関わって生きている以上自分と他人の間に発生する関係ってもう多様性のある社会の一環だよねみたいな。
タニーさんも言ってたように、誰か相手がいる関係を築く時点で相手の背景を慮る気持ちって持たなきゃいけない観点で、それってダイバーシティについて考える入口なんですよね。
難しい事では全然なくて、ちゃんとした事考えなきゃでもなくて。
さっきの相手の気持ちってこうかな、こうしたら一緒によりよく仕事が出来るかなとか、仕事外でも、映画のこのセリフ、自分は違和感があったなとか。
考えるきっかけとか視点が増えていくと、いろんな事に気づけるようになるなーと。
私たちもそう出来るように頑張っていきたいですね
少しずつ記憶が風化したりもしてきている震災の映画で、話しているうちにいろんなことを思い出したり、非日常の事として済ませてはいけない問題ってたくさんあるよねと確認できた素敵な作品でした。
人の絆でぐっとくるしほっこりする側面もある良い映画なので、皆様ぜひ見てみてください。
ダイバーシティ推進委員会ではイーガオの皆がより働きやすくなるように日々いろんな活動をしています。
イーガオメンバーで、実はこれで困ってる、こういう事を知りたい、などありましたら、お気軽にslackのダイバーシティ推進のチャンネルにお越しください!
では、読んでいただきありがとうございました!