もくじ
2023年もあっという間に一か月が経っちゃいましたね……
かなり寒い日々ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は楽しみだった「バイオレント・ナイト」というパワー系サンタ映画の公開が迫ってきてわくわくしています!
ダイバーシティ推進委員会で恒例となってきました、
コンテンツ共有会の第三回の様子を今回もざっくりダイジェストでお届けします。
コンテンツ共有会って何? という方向け第一回の様子はこちら
イーガオのダイバーシティ推進委員って何をしてるの?
という方はぜひこちらご覧ください。
今回の題材は「アラバマ物語」という映画です。
あらすじはこんな感じ
ピュリッツァー賞を受賞したハーパー・リーの自伝的小説を原作に、1930年代のアメリカ南部で人種差別に立ち向かう弁護士の闘いを幼い子どもたちの視点から描いた名作ドラマ。
映画.com作品紹介より
1932年、人種差別が根強く残るアラバマ州の田舎町。
弁護士フィンチは妻に先立たれ、まだ幼い2人の子どもたちと暮らしている。
ある日、彼は白人女性に性的暴行を加えた容疑で逮捕された黒人青年の弁護を担当することに。
何よりも正義を重んじるフィンチは、差別や偏見に立ち向かいながら、青年の無実を証明するべく奔走する。
しかし町民たちはそれを快く思わず、フィンチや子どもたちに対する風当たりは日ごとに強くなっていく。
前回とはガラッと変わった題材ですが、この映画からどんな視点に着目したのか、
トークの雰囲気感じていただけたら嬉しいです。
以下、映画のネタバレが多分に含まれておりますので、気になる方はぜひ映画見てからブログを読んでみてください。
いつものざくっと感想タイム
映画の前半、お父さんの人柄や街の人の平常時の雰囲気というのを見せていて、街の人たちから「良い人」が多い感じがしたのに、あの事件によって判決が出る前に拘置所を襲撃してしまうっていうところがすごい驚きでした。
裁判であれだけ状況証拠が出されて犯人じゃないって確定してるようなものなのに、時間かけて議論してたのに、有罪になってしまって。
どうしてそうなるのかなって考えさせられました。
人種への偏見とかプライドが曲げられなくて、合理的に考えた犯人じゃないのに、認められなかったのかと。
あと、お父さんの周りの人への接し方が見習うべき姿だなぁと感じました。
子どもに対しての接し方が特に。
世界の嫌なところって普通誤魔化したりだと思うんですけど、この世界にはこういう辛い事があるんだよ
っていうのを踏まえた上で話してるのが、親のお手本の一つの形かなと思いました。
あの裁判で事実にそぐわない有罪になったのって、陪審員制度で陪審員の協議の上で出た結論っていうのもあったと思うんですよ。
民意を汲むって意味での陪審員制度があると思うんですけどそれが悪い方向に働いた結果ってのもちょっとあるのかなと思って。
例えば陪審員の中に人種差別的な偏見持ってて自分の思いを曲げられない人がいたとしたら議論の中にはそういう意見もってきて議論がそっちに傾いたりするんじゃないかと。
民衆の中でも判決を聞いてあれ?って思った人って絶対いると思うんですけど、
周囲からお前もそっちなんじゃって思われたくないとかで意思の表明ってあの場でするのってすごく難しいと思って。
やっぱり対面でのやり取りの中で違和感を表明するのは難しいですよね。
主人公のお父さんの弁護士にさえ嫌がらせがあったわけじゃないですか。
その中で陪審員として人とは違う意見を表明するのはリスクがあるなって思います。
全員一致で「あれはおかしいよね」って言えたらいいけど、最初の一声すらも出せない状況ではあったのかなって思いました。
一方でお父さんが当然のようにトム(無実の罪で起訴されてた黒人の青年)を擁護するのは、一応その程度には人権意識も進んではいるのかなと。
一般人はまだしも、エリート階級とか、判事の人とかも多分そうなんですよね。
無実と分かってたからこそ、可能性のある彼に弁護人を頼むって事をやったと思うんです。
高校生の時に学校の授業で観た事があって、今回改めて観た感想としては、人種差別に関する話だっていう風に思っていたところがあったんですけど意外とそれだけじゃないと気が付かされました。
いつの時代どこに住んでたとしてもいわゆる同調圧力っていうのは回避できないものなんだなーって思ったりとか。
エピソードとしては弁護士にお世話になってる人が同調圧力によって彼が弁護してる人を襲撃しにいくっていうのが。自分の意見をどう持って貫くのかって事の難しさを感じました。
気になったのが、陪審員制度が民意を反映して最終的に有罪になってしまったけれど、終盤の別の事件で正当防衛であれ殺人をしてしまった人に対して弁護士と保安官の人がいわゆる私刑を下すっていうのは、法律の社会でどうだろうなーって思うことの一つでした。
あと皆さん言ってたように弁護士が本当に素晴らしい人で、だからこそ家父長制が目立った映画だなってのがレビューにあって、作者もそこは気づいてないポイントなのかなって思ったところです
私刑の部分に関しては、法が必ずしも万能じゃないっていうのを法に携わっているからこそ理解していたと思うんですよ。
傍から見たらちょっと恣意的な運用に見えるかもしれないということよりも、人間として何を守るのかっていう部分を重視して。
多分保安官の人も同じ思いがあったのかなって
そう考えると、結末を保安官の人も同調してくれたってのはある意味あの人も前の判決には異議があったからこそなんだろうなと。
自分のあの場でできる形で、正義を貫く方法として法への抗いだったのかな
保安官の人もトムが裁判後、逃げなかったら撃ちたくはなかったでしょうしね・・・
そういえば映画と本の違いで、本だとトムは二十発くらい撃たれてるんですよね逃げた時
なんと…かなり印象が違ってきますね
それってつまり、威嚇で怪我させるためにとかじゃなくてって感じですよね
根深い人種差別意識について考える
トムが自分はやってないけれども、潔白を証明するのが本当に難しいシーンを見るとなんか心が痛くなりました
被害者だって女の人、挙動不審がこれでもかってくらいだったのに有罪ですもんね
トムは、弁護についたのがもし黒人の弁護士だったら最後まで信じきれたんでしょうか?
どこかで、この白人の弁護士は白人側につくかもしれないっていうのは考えが及ぶことではあるのかもなあとは思いました。
白人黒人といえばきっちりあの裁判所でも席が分けられてたのはさりげないけどあの時代の意識が目に見えて分かる部分の描写だと思います。
あと、あの時代で先進的な思想のエリートの人を書こうとして出来上がった像がああいう良き父であり正義の人であり平等な人、人種で色眼鏡で見ないっていうのがちゃんと正義の人として書かれてるのは面白いなと思いました。
まだまだ差別意識ある時代の映画で、そういう人物が良き人とされてるんだなあと
検察の人がトムに対して、黒人のお前が白人に同情?みたいに言ってて。そんなこと言われるレベルの時代なんだなって驚きました。
そういう時代だったからこそ、潔白であるだろう証拠が揃ってのあの状況で、あれだけ有能な弁護士でもずっと苦渋の表情で、勝てないと思ったんだろうなって。
奴隷として連れてこられて同じ大陸で暮らすようになってから、ずっとああいう意識はあの映画の時代まであったんですかね?
その前に奴隷解放宣言あったりしたから全く同じではないけども、意識的にはあまり変わってなかったかもしれないですね
社会的には奴隷解放としてるけど、意識の中では、そのカースト的なのはずっと根付いたままみたいな
奴隷解放されても結局食べていかなきゃいけないからって、解放後も同じところで働き続けた人もいたっていうのは学校で教えてもらったことありますね
似たところで言うと、インドもカースト制度が廃止された後も、結局職業は世襲みたいなところがあったりして逃れられなくて。
インドでIT系が発達したのは、世襲とかによらない、カースト廃止後にでてきた産業だからって話を聞いた事があります。
『差別』って一括りに言うけれど……?
個人的に区別と差別ってすごい難しい問題だなあと思っています。
例えば男性女性問題とか、一般的には男性のが体力的に優れているとされていて、それで男性のがつきやすい職業があって、それって差別って言うのかなみたいな。
それで女性を禁止するのは差別だけど、男性がやりやすい仕事だよねって言うのは差別なのかなーって。
明らかに人種で区切って決めつけるのは間違ってるなってのは分かるんですけど
そういうの考えるのが難しいとこですよね
それこそ女性男性で言うと、出産とそれに伴う体へのダメージとか、どうしても身体的に差がある部分でそれを埋めるための必要な産休とか、同じラインに立つために必要な区別と、それが差別になるとこのボーダーが難しいと言うか
思ったんですけど、人種差別と男女差別っていうのは、差別という同じ単語を使っているけど根本的なところ違うかなと思っていて。
アメリカの黒人白人の問題っていうのは、勝手に連れてこられた人への差別という話で。
そこと男女差別は同じ単語だけどテーマとしては違うかなと思いました。
イメージしづらいかもだけど、作中では黒人の方に対して、同じ人間として見てないくらいの差別があったんじゃないかなと推測できますね。
所有物として見てる可能性も全然あった時代だと思うんですよね。
それを裏付けるというか、作中で白人は裁判の中でいわゆる普通のアメリカ英語を使ってたんですけど、黒人は丁寧語というか敬語を使ってる感じでずっと喋ってたんですよね。
それが日常というかご主人様に話す感じでないと暴行とかされちゃう時代だったのかな。
彼が丁寧な人柄だったというのもあるけど、それだけじゃなく、時代的にそういう態度じゃないと生きていけなかったということです…?
多分トムさんは家に帰るといわゆる黒人英語的な英語で喋って、白人と話す時とかは最上級に気を使う時の英語を使って話してるのが裁判の時出てた言葉なのかなと思いますね。
ニュアンス興味深いです
英語ってあんま敬語がない文化って聞いたことがあるなーーってままのイメージでした
イギリスも今でも出身によって使う英語違ったりでそれが階級意識に繋がってたりするし、英語も色々とあるので、違いがわかるとぐっと面白くなるポイントかなと思います
今回も各々の視点ならではの感想がたくさん出て、人の感想を聞くのがとても勉強になる回となりました。
これからもいろんなジャンルの作品でいろんな観点を知る機会に出来たらなと思います。
ダイバーシティ推進委員会ではイーガオの皆がより働きやすくなるように日々いろんな活動をしています。
イーガオメンバーで、実はこれで困ってる、こういう事を知りたい、などありましたら、お気軽にslackのダイバーシティ推進のチャンネルにお越しください!