もくじ
みんなーーー久しぶりガオーーー!
元気にしていたガオか???
初めましてのみんなはこんにちは!
イーガオの公式キャラクターのガオです←こちらのリンクからもっとガオを知ってほしいガオ🎵)
いきなりガオが、イーガオは2013年2月に創立されたのは、ご存知ガオね?(これまでのあゆみをみてね🎵)
じゃぁ、イーガオは新宿生まれ新宿育ちは知っているガオか??
そう、若宮町〜御苑前〜新宿ガオ(5)丁目(最寄駅は新宿三丁目)とイーガオと新宿はずーーっと仲良しな間柄。あーそれだのに、「新宿ってどんな街??」「ガオくんの職業はイケメン??」なんて聞かれても、「ち、ちガオ、イケメンだけど職業ではないよ・・・。新宿はね、もっと、もっと、歴史があって栄えた街のはずなんだけど、、、、イカン!イーガオの公式キャラクターだのに、新宿に来てくれた友達にお・も・て・な・しもできない。」
よし!こうなったら『新宿に訪れる人たちはみーんな勝手にガオ友🎵』そんな想いでじぶんが新宿を知ることから始めるガオ!題して『ブラエガオ』(どっかで聞いたことあるタイトル・・・)ガオがぶらっと散歩しながらいろんな新宿を紹介していくガオよ。目指せ!新宿トモダチ特使。
・・・と気合いだけはありつつも、何からご紹介したらよいのかと・・・。ということで、今回は新宿区の広報誌で紹介されていた『内藤新宿』をその通りお散歩してみたガオ!
内藤新宿をたどるガオ!
今回は、2025年もはや2ヶ月が終わろうとしているのに、25年の抱負として「体を鍛える」を掲げたままなにも行動を起こしていないぐーたらなちずこさんを誘ってみたガオ。
大寒波再到来でさっぶい2月の連休最終日にレッツガオ!

広報新宿令和7年1月25日号 第2488号 2面3面より
<新宿広報誌によると>
「江戸初期に整備された甲州街道は、第一の宿場町「高井戸宿」までの距離が遠かったため、元禄12年(1699年)、新たな宿場として開設。内藤という名がつくのは、信州高遠藩内藤家の屋敷(現在の新宿御苑)の一部等を幕府に返上させて宿場を開設したことに由来。江戸の重要な産業道路の役割を果たしていた甲州街道の宿場町だった内藤新宿は、宿場廃止や火災の危機を乗り越え、幕末まで繁栄が続きました。」
新たな宿として開設された場所が『新宿』なのねっ。
なぜか逆から散歩
❻四谷大木戸跡碑
なぜ、逆から散歩かというと、ちずこさんのおうちが近かったからw
さぶがりなちずこさん、スタートはあまり乗り気ではなかったようだけど、お天気がめちゃめちゃよかったからだんだんご機嫌になってきたガオよ。
地図を見ると大木戸門のすぐ近くかとおもいきや、周辺くるくる回ってようやく見つけた!四谷大木戸跡碑。すぐお隣のビルが四谷図書館があり、ちずこさんは時々利用していたようだけど、全くこの跡碑には気が付かなかったらしいガオ。

<新宿広報誌によると>
『大木戸とは、江戸から地方に向かう街道の出入口に置かれた関門で、大木戸より日本橋側が江戸府内、外側が郊外と認識されていました。現在の四谷四丁目交差点付近には、甲州街道の関門「四谷大木戸」が設けられ、江戸に出入りする物資や人馬などを検閲していました。』
❺多武峯(とうのみね)内藤神社
まずまずのスタートを切り、次なる場所へ。外苑西通りを信濃町の方へ少し歩いたところにあるようだけど、大通りを一本内側に入った道はとても閑静な住宅が並び、スズメのさえずりなんかも聞こえてくるくらい。住宅地の中にポツンとあったガオよ。

<新宿広報誌によると>
「元は内藤家の邸内社で、家祖・藤原鎌足の分霊を迎え入れるため、創建されたと伝わっています。境内には、内藤清成の愛馬にまつわる「駿しゅんめづか馬塚の碑」と、木造駿馬像が安置されている「駿馬堂」が建立されています。」
『蒸し米作って大化を祝おう』のあの鎌足さんガオか!
駿馬さんは、頑張った末に息絶えてしまったらしいガオ。詳しくは広報図内の「駿馬の伝説」を読むガオッ
駿馬塚とガオ。そして、スズメと戯れる(?)ガオw


❹新宿御苑
ここは、馴染みのあるとこガオね。なんたってイーガオは御苑前に事務所があったから🎵年間パスを購入してお昼休みに散歩していたメンバーもいたとかいないとか🎵

都心にこんな広い緑があるなんて、こりゃぁ気分転換には最高ガオねっ。
「東京産業文化博覧会」が開催された昭和25年から、28年まで新宿御苑内に遊園地が運営されていたとのこと🎵
<新宿広報誌によると>
「「四谷荘」と呼ばれた内藤家の屋敷地がルーツ。当時の面影が残る園内の玉たまも藻池を中心とした玉川園は、江戸名園の一つとして知られていました。明治以降、四谷荘は牧畜園芸の改良を目的とした内藤新宿試験場、皇室庭園、そして現在の国民公園と、時代とともに役割を変えながら継承されています。」
❸玉川上水
御苑の脇にある散歩道が、かつて玉川の上水路だったガオね〜。曲がりくねった道が名残りがあっていいガオねーー

<新宿広報誌によると>
「玉川上水は承応2年(1653年)に造られ、多摩川の羽村堰せき〜四谷大木戸は地上を、その先の江戸府内は石や木でできた水道管を地下に通して配水していました。内藤新宿付近の上水路は昭和初期に暗あんきょ渠(地下水路)となりましたが、新宿御苑の中に「玉川上水・内藤新宿分水散歩道」が整備され、かつての流れをしのぶことができます。」
❷太宗寺
さてさて次は・・・散歩道から新宿通り方面へ折れ曲がり、てくてく歩みを進めていくと、見えてきました広いお寺!
ちずこさん曰く「帽子をかぶった小さい大仏さんがいるなぁ〜」「猫ちゃんが多いなぁ〜」と思っていたらしいけど、銅造地蔵菩薩坐像ガオね。

お地蔵さまとガオ
<新宿広報誌によると>
「僧侶・太宗が開いた草庵「太宗庵」を前身とする寺院で、慶長元年(1596年)ごろに創建されました。信州高遠藩内藤家の菩ぼ提だい寺じであり、現在も内藤家の墓所があります。境内には、「内藤新宿のお閻えん魔まさん」として江戸の人々の信仰を集めた閻魔像が安置され、毎年1月・7月の15日・16日に特別開帳を行っています。」
7月の特別開帳が楽しみガオね
トモダチ特使として、初トモ現る?!お近づきになれました!



こんなに近づいても驚かれなかった!
❶追分
さぁいよいよ最終地点!(逆から散歩なもんで)ここは今も昔も賑わい続けているガオね。


<新宿広報誌によると>
「江戸時代、新宿三丁目交差点付近は「新宿追分」と呼ばれ、青梅街道と甲州街道の分岐点でした。「追分」の名は、今もバスの停留所や交番の名称等にその名をとどめています。」
さいごに
いかがでしたでしょうか?第1回ブラエガオは「内藤新宿」を歩くでした。ちずこさんとの1時間弱の散歩だったけど、体も心もポカポカしてきたガオよ。ブラッと笑顔で散歩はいいガオね🎵
次はあの街・あのエリアでお会いしましょう!!

ALTAくんと最後にパシリ。アリガオね、これからも、いいとも!!